このブログを通して、日本がインドの"Make in India"政策をどうアシストできるか、また両国が 21 世紀を象徴するようなパートナーシップをどのように形成で きるかについて取り上げていきたいと思います。これから日本や日本の人々、その社会産業文化について断片的に書き進めながら、それらをインドと比較していこ うと思います。とりあえず初回は以下の話題から
日本人とインド人の DNA はやはり、大きく異なります。私が話している DNA というのは、もちろん生物学的なものではなく、社会文化的な DNA を指していま す。これは地理と歴史に根ざした事実であり、このテーマに関してこのブログでいくつかの考えを共有したいと思います。
ある時、私はデリーからロンドンまでの飛行機で偶然若いインド人紳士の隣になりました。彼はインドの教育制度を変えようと非常に熱心に活動している方でし た。私たちは良質の赤ワイン(南アフリカ産のカベルネ・ソーヴィニヨン)を飲みながら話をしていて、彼は日本人がインド人とどのように違うのか疑問に思って おり、私にたくさんの質問をしてきました。私は人生において全く異なる 3 つの文化(インド、日本、アメリカ)でそれぞれ結構な時間を過ごしてきたので、私た ちの飲んでいたワインを題材にして彼に簡単な説明をしました。
もし私たちが味わっているワインがとても良いものだとすれば、インド人はこれをどのようにビジネスチャンスに変えることができるかをまず考えます。多くの インド人がこのワインを好きだと推測し、もし南アフリカから輸入することができれば、たくさんのお金を稼ぐことができるのではないかと「貿易商」のように考 えるでしょう。日本人は、そのワインがなぜそんなに美味しいのか、どのような品質のブドウが使われたのか、どんな気候で栽培されたブドウなのか、そしてそれ を再現したり改良したりするにはどうすればよいかと「職人」のように考えます。アメリカ人は、「インド人と日本人にも受けの良いワイン」にチャンスを感じ、そ れをグローバルにフランチャイズしてはと「起業家」のように考えるでしょう。
これは、本質的に日本、インド、アメリカの社会的・経済的 DNA を要約したものです。なぜそれぞれの国がこのようになってきたのかについては、国の地理や歴 史と関係しており、これらの相関について興味のある方にはジャレド・ダイアモンド著の「銃、病原菌、鉄」をお勧めします。